株式会社 プランニングネットワーク

(2)北海道池田町
〜段階的・戦略的地域づくりの展開・ワインからワイン城、
 そして音楽キャンプへ
@概況ときっかけ

A始動時期の特徴

B集客商品の特徴

C継続的取組み

D参考文献

E地域づくり年表

F来訪者データ

G観光特性

H主要施設の集客実績


@地域の概況と地域づくりのきっかけ


 
我が国が高度経済成長を進める昭和30年代後半から始まる池田町の「ワインのまちづくり」は、大分県大山町、湯布院町と並び「地域づくりの先進事例」としてこれまで多くの文献により紹介されてきた。池田町の地域づくりの取組みは、「ワインのまち・池田」のキャッチに代表されるように、一見特産品による地域づくりの成功例と見がちである。
 しかしながら池田町の40年間にも亘る地域づくりの取組みを注意深く見ると、「ワイン城」の完成が転機となって、新たな途が展開されている。池田町の地域づくりのきっかけは、昭和27年春の十勝沖地震、さらに28年、29年の冷害が池田町に多大な被害をもたらしたことへの対応から始まる。地震と冷害への対応は、池田町の財政を危機的状況に追い込み、昭和30年に制定された「地方財政再建促進措置法」の対象地域に指定される等、池田町の地域づくりは「財政再建団体」からの脱却と地域内の新たな産業づくりに直面することとなった。当時町長に就任した丸谷氏1)は、池田町の町政の柱として「農業を基盤にした地域づくり」を推進する一方で、従来の延長上にない新たな発想として「ぶどうとワインづくり」という新規研究開発テーマに取組み、関係者の賛同と協力を得つつ、現在の「ワインのまち・池田」のまちづくりの基礎を形成した。
 そしてワインづくりの成功をひとつの節目として「ワイン城」の完成を見る。この施設は、産業拠点(ブドウ・ブドウ酒研究所)であり、地域住民にとってのシンボル拠点であり、地域外の人々に対しては新たな集客施設としての役割を持たせている。
 さらに、町営のリゾートゾーンとしての「まきばの家」を整備、ワイン文化振興の一助として「音楽キャンプ」も始める。また、ワインを柱に『味・音・香りのまちづくり』を展開し、音の拠点づくりとして先の音楽キャンプに加えて「池田町田園ホール」を整備する。
このように、「ワインのまち・池田」は、地域内産業として商品化されたワインを基礎に、ワインづくりで得た知名度を活かしながら、『集客』を標榜する地域づくり2)へと着実に転換を図っている。  →トップ


A始動時期の特徴

 
池田町の地域づくりの特徴は[産地型]から[集客型]への転換を図ったことにある。そのため、素地づくりは「ワイン」の商品化に向けての取組みとともに展開されていると見てよいであろう。
 地域づくりのリーダーとなる丸谷氏が「ワインづくり」を着想したきっかけは、地域に自生している山ブドウを発見3)、時代の動向を見定めて「ワインづくり4)を構想する。ワインづくり(ワインの産地化)の実現に向けての取組みには多くの学ぶべき智恵があるが、それは別稿5)に委ねるとして、ここではその主要な足跡のみを取りまとめる。
 まず町長は、町長側近のメンバーを構成しアングラでワインづくりを進める。命題は「地域に適するぶどうを見出し広めること」と「ワインづくりに向けての酒造免許を取得すること」の2つであった。町長側近のメンバーを中心に、また町長選で自分を担ぎ出した青年農家を応援団として理解を広める。さらに、「ブドウ栽培振興奨励条例」を制定して住民の参加を求めるとともに、ワインづくりについては数々の国際コンクールに出品、受賞することで<地域の誇り>をアピールしている。
 また、直近の職員の研修をきっかけに、広く地域住民を対象に「ワインツアー」と称する研修を実施、<外から池田町を見て考えること>を求める。さらに、ワインづくりが軌道に乗った段階では、町民にしか手に入らない「町民還元ワイン」の配布や、利益金の還元を実施している。このような一連の素地づくり(ぶどうとワインづくり)は、「ワイン城」の完成をもって次の段階へと移行する。  →トップ


B集客のための商品の特徴

 
池田町の『集客型地域』として商品は、「ぶどう・ワイン」を基礎として創られた『ワイン城』と、その後のまきばの家における『音楽キャンプ』である、と見ている。まず、『ワイン城』は、先に論じたように@産業拠点(ブドウ・ブドウ酒研究所)、A地域(ワインのまち)のシンボル、B来訪者の交流施設(ワインづくりの見学、町営レストラン、イベント会場)としての意味を有する施設である。また、ワイン城はヨーロッパの古城をモチーフとした特徴的な形態である。このような形態とした背景は、町民研修制度の「ワインツアー」でヨーロッパに出かけた際にライン河畔で見かけた古城の風景が原形となって実現されたもの6)である、と言う。ある意味では、施設の機能や施設の有する意味あいは本物であるが、形態は諸外国からの模倣(モノマネ)であると見られる。
 第二の『音楽キャンプ』は、ワイン城完成の翌年にオープンした「まきばの家7)が周辺の大型リゾート施設と競合する状況下での新しい取組みとして始められたものである。自然環境とリゾート風の施設・サービスとを活かしつつ、「音楽」を新たな集客のテーマとして特徴づけたものであり、夏季の一定期間、全国のプロの音楽家を目指す人々を集めて実施する「音楽キャンプ」は、施設のイメージと新たな魅力づくりに貢献している。  →トップ


C継続的取組みの特徴

 
『音楽キャンプ』の実施は、「ワインのまち・池田」から『ワインを柱に「味・音・香り」のまちづくり』へと、まちづくりのテーマをより大きく展開するものとなた。町では、このまちづくりの方向性にしたがって
「味」・・・・・・町営レストラン8)のメニューの充実、まきばの家のバーベキュー等
「音」・・・・・・田園ホールの整備9)、サマーコンサート、音楽キャンプ等
「香り」・・・・ハーブ10)全国池田町ふるさと友の会11) 等
を積極的に展開するとともにアピールしている。
集客型地域としての客層は、周辺の大型リゾート施設がターゲットとしていない家族づれを基本に、音楽等をテーマとして特徴づけを行っている。また、広域連携による集客(全国池田ふるさと友の会、牛喰いシンポジウム、姉妹都市学生交流)等、「池田町の理解者」の輪を広げることにも取組んでいる。  →トップ

 

 

 

[参考文献]

@池田町史編集委員会(1988)『池田町史<上巻>』、池田町役場
A池田町史編集委員会(1989)『池田町史<下巻>』、池田町役場
B池田町史編集委員会(1992)『池田町懐かしのアルバム−写真で綴る池田町史』、池田町役場
C井家上隆幸(1977)『十勝ワイン共和国』、KKベストセラーズ
D丸谷金保(1987)『ワイン町長の一村一品パフォーマンス』、北斗出版
E亀地宏(1992)『ワインロードのランナーたち』、公人社
F大石和也(1989)『町営事業経営の変動−北海道池田町の例』

   地域活性化と地域経営<P79〜92>、学陽書房
G大石和也(1993)『地方自治体における民間的事業の課題』

   自治行政と企業<P19〜38>、ぎょうせい
H東城敬司(1983)『町営ワイン・陶芸・レストラン』

   文化行政とまちづくり<P138〜142>、時事通信社
I亀地宏(1984)『十勝ワイン・乾杯の町−北海道池田町』

   むらおこしルネッサンス<P3〜18>、ぎょうせい
J五十嵐冨英(1991)『自立型活性化への途−池田町』

   地域活性化の発想<P108〜112>、学陽書房
K森田 優(1990) 『この町を「ふるさと」にする人の輪づくり・「物」と「心」がつなぐネットワークリゾート』

   手づくりリゾート・ふるさとづくり<P102〜109>、農文協(現代農業)
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[注釈]

1)丸谷氏は「ワインのまち・池田」の基礎を形作った町長であり「ワイン町長」と称されている(文献D(P295〜P296)が詳しい)。丸谷氏は、大正8年に池田町に生まれ、明治大学を卒業後戦地に赴き、昭和20年8月に復員してから十勝日日新聞の編集長に着任し、昭和28年に農民同盟の新事務局長となった経歴を持つ。そして昭和30年代初めの池田町の財政難の時代に、一部の青年農家の熱心な要請により町長選に出馬し新町長となった(文献E(P19))。 →トップ
2)ワイン城の完成後は50万人〜60万人の観光客が来訪している。観光客の約4割が道外客であるものの、宿泊率は1割以下と低く(池田町統計)、日帰型、立寄り型の観光地としての様相を呈している。 →トップ
3)まず地域の新たな産業として「ぶどう」を見出した経緯は、『農業を基盤とする際にどうしても新しい特産・柱となるものを見つける必要がある。果樹は、ことによってはその一つではないかと思う(文献E(P36))』と考え、国立市の農業科学化研究所の所長(ブドウ研究)を訪ね相談する。その後、担当者に幾度か上京を命じ、特産品の鍵となるものの発見を求めた後に、『「おい、ぶどうはどうか」と始めて言った。担当者が「ぶどうができるくらいなら、とっくの昔にやっている」と答えると、町長は「だって、山に入ればたくさんのぶどうの木があるではないか」と言った(文献E(P39〜P40))』、とあるように野生の山ぶどうを発見したことがスタートとなっている。 →トップ
4)ぶどうからワインへの発想は、『日本人は勤勉でよく働くから、やがて所得も増えて豊かになる。食生活が変わり、みんながおいしいものに慣れてくると、成人病にかかる人が増え、アルカリ性の食物が好まれる。ワインはアルコール飲料の中では唯一のアルカリ性ではないか。しかも、39年には東京オリンピックも開かれるから、たくさんの外国人がやってくる。外国人はワインを飲むから、国内でのワインに対する関心も高まるはずだ。自分はワインは日本の産業になると思う(文献E(P45))』に見られるように、時代の動向を見定めた上での判断であった。現在から40年も前の1960年代初頭に考えられたことである。 →トップ
5)池田町の「ワインづくりという新規開発テーマに対してどのような組織をもって対処したか」をテーマに筆者は『『ワインのまち・池田』に見る地域づくりへの段階的取組み』と題する原稿(千葉県長生村でのまちづくり講習会(第3回)参考資料)をまとめている。 
6)「ブドウ・ブドウ酒研究所(ワイン城)」は『町民や観光客の間では通称“ワイン城”と呼ばれている。何度か視察に赴いた中世ヨーロッパの城を模倣して建築したものであって・・・(文献A(P484))』とある。 →トップ

7)「まきばの家」は『市街地の東方丘陵約100ヘクタールの町有林の中に牧歌的な「いきがいの丘」を造成し、ポニー牧場、めん羊牧場、まきばの家等を整備した。中心は、まきばの家で、建物は開拓時代のおがみ小屋風の三角屋根の本館と宿泊棟、シャワー棟の3棟で、本館の西側丘陵には約200人が一度に野外パーティが開ける屋外バーベキュー施設を開設している(文献A(P485))』とあるように、来訪者の獲得をめざした施設であった。その後新規施設を整備していくものの、周辺の大型リゾート施設と競合する中で、次の時代にどのように対処すべきか、曲がり角にしているという(文献G(P31〜P32))。 →トップ
8)町では、「町営レストラン十勝」の他に、「レストラン十勝赤坂店(東京都港区赤坂)」「レストラン十勝日本橋店(東京都中央区日本橋)」「ビストロ十勝(札幌市中央区)」「レストラン十勝札幌店(札幌市中央区)」の4店の姉妹レストランを設けている。 →トップ
9)音楽キャンプのディレクターとしてN響主席コンサートマスターの徳永二男氏を迎え、開始当初は手探りで始めた音楽キャンプの運営や指導も円滑に進められているという(池田町パンフレットによる)。
また、音楽キャンプは、それ以前に「ポニーキャンプ(昭和47年)」「どろんこキャンプ(昭和53年)」等の実績を受けた企画であった(文献K(P104))。 →トップ

10)ハーブ料理の研究家・青柳文子氏が池田町に住所を移したことを機会に、「ハーブシンポジウム」を開催するとともに、町内のハーブ栽培も展開されている。また、ビネガー、リース、ドライ、クッション等に加工され、[MADE in IKEDA]の香りとして全国各地に送られている(文献K(P109)および池田町パンフレット)  →トップ
11)全国にある6つの池田町(北海道、長野県、福井県、岐阜県、香川県、徳島県)と大阪府池田市により『全国池田サミット』を開催、サミットでの提言から各地の特産品を持寄り、広域連携での新しい特産品を開発・販売するとともに、特別会員を募って、ローカリティあふれる「味覚」の提供を行っている(池田町ミニ町政要覧、池田町パンフレット)。 →トップ

 

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[観光特性]  →トップ 

[主要施設の集客実績]  →トップ

 


@ワイン町・池田のシンボルとしての『ワイン城』

A池田町の第2弾の集客施設『まきばの家』


Bまきばの家では「音楽キャンプ」が集客商品となっている


C田園ホール。ワインをひきたてる素材は「味覚」と「音楽」。本格的なホールは池田町の文化の殿堂として機能している。

 

 



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